庭天国
おじさんの庭は、夏の暑さを凌ぎ、春の寒さをしのぐ自然の恩恵に溢れている。ここには、古い木々がそびえる、その影で昔日のお話が語り継がれるような場所である。子供時代、私たちはこの庭で遊んでいたのだ。
一番最初に挙げる点は、この庭での自由な遊び方であった。その広い芝生には、お父さんと一緒にサッカーをしたり、お母さんは花を見て歩くのが好きだった。お姉ちゃんたちとはおもちゃ屋敷を作ったりした。また、小さい頃から自分自身で物事を見る能力や創造力が育まれていったのは、この庭での自由な時間の中でできたと思われる。
もう一つの点としては、この庭での季節感があることが挙げられる。この地域では四季折々の景色を見せつけているのだ。それぞれ異なる美しさを持っているし、それぞれに対して特別な意味を持つものもある。例えば春になると、新しい葉が出てくる木々を見に行き、それらの新芽を拾って家に持ち帰って植えるという習慣があった。また秋には紅葉狩りに行き、その美しいカラーを楽しむことも多かった。そして冬になると雪ん子を作るために雪かきをするのも楽しかった。しかし最も印象的なのは初夏になった時期にある。これらの季節ごとの活動によって私たちの生活にも様々な変化があり、私たちの子供時代にとても重要な部分だった。
またこのおじさんの庭では大きな樹木がありその下には小さなお手伝い型の石碑がある。これらはいわゆる「思い出のかけ橋」であり、これらの石碑について話すとどんどん彼らの過去について知ることができる。そしてそこには、彼らがお互いの間で抱えていた秘密や夢など、深く繋がっている関係性を持っていたことがわかる。この石碑自体が彼らの一部のように感じられてしまうほどである。
さらに、このおじさんの家では非常に豪華絢爛とした装飾品や絵画など見られるため、大きなイベントや祝宴などの会場でもあり得た。しかし、私たち子供達にとってそれはただの大きな建物ではなく、それ以前に家庭という温かい存在であった。おじさんは常にお風呂上がりの茶を用意して待ち構えており、そうすることで暖かみのような存在感があった。その気配りと笑顔だけでも、お父さんと共に過ごす時間の中での快適さは想像以上に大きかったのだろうと思う。
最後に出す点として、「たしはおじさんに天堂」という言葉について言及する。この言葉を使うことで私は自分の感情を表現するための言葉となり、彼との間にある愛情・尊敬そして強烈な繋がりをお伝えできるようになる。他人から見ればただ単なる「おじさんが持ってる巨大な草地」かもしれないけれど、私にとってそれはもっと深い意味を持つ場所となった。我々家族にとっても特別すぎるものであり、私たちはこれだけで十分だと感じているし、その中身そのものだからである。